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長野地方裁判所 昭和41年(行ウ)11号 判決

長野県上田市大字中之条一、二六八番地ノ八

原告

岡田袈裟二

右訴訟代理人弁護士

富森啓児

右訴訟復代理人弁護士

加藤洪太郎

長野県上田市常盤城字北沖五三番地

被告

上田税務署長

松嶋光泰

右指定代理人

玉田勝也

丸森三郎

山本至

小山隆夫

高畑甲子雄

神林輝夫

倉沢盈雄

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

第一、当事者の求めた裁判

一、原告

1. 被告が昭和三九年一〇月三一日付で原告に対し、左記のとおりなした昭和三五年、同三六年、同三七年分の所得税額決定及び無申告加算税賦課決定、並びに昭和三八年分の所得税額更正及び過少申告加算税賦課決定の各処分(ただし、いずれも審査裁決により減額されたもの)は、いずれも取り消す。

〈省略〉

2. 訴訟費用は、被告の負担とする。

二、被告

1. 原告の請求を棄却する。

2. 訴訟費用は、原告の負担とする。

第二、請求原因

一、本件課税処分の経緯は、次の表のとおりである。

昭和三五年分

〈省略〉

昭和三六年分

〈省略〉

昭和三七年分

〈省略〉

昭和三八年分

〈省略〉

二、原告には、昭和三五年、同三六年、同三七年分とも課税標準額に達する所得はなく、また、昭和三八年中は、前記確定申告額を超える所得がない。

三、そこで、原告は請求の趣旨記載のとおりの判決を求める。

第三、請求原因に対する認否

一、請求原因一は認める。

二、同二の事実は否認する。

第四、被告の主張

一、寺田本店の営業主体について

被告は原告について以下主張の事実関係からみて、遅くとも昭和三四年末までに、訴外寺田時哉(昭和四二年七月二五日死亡、以下単に「時哉」という。)の経営にかかる鮮魚商、屋号「寺田本店」商号「#一」の営業一切を同人から引き継ぎ、これを経営するようになつたものと認めた。

1. 時哉は、大正一〇年ころから上田市三好町で、前記寺田本店を営んでいたが、老令で自から事業を経営できないため、後継者を探していたところ、たまたま昭和三四年九月、原告を養子として迎える内諾が成立し、その結果原告は以来昭和三八年五月まで同人のもとに同居し、そのころ同業者にも寺田本店の営業主として、被露され、営業活動を行い、時哉を扶養し、これに対して時哉は営業に関与していなかつた。

2. 原告は、昭和三五年二月四日上田簡易裁判所昭和三五年(ハ)第四号事件の口頭弁論期日に、寺田時哉の代理人として出頭し、「被告(時哉)は岡田袈裟二に昭和三四年九月一日より営業一切の権利を譲渡した。一と答弁し、原告が、時哉の債務を引き継ぎ弁済する旨の和解により右事件は解決した。

3. 原告は、昭和三四年九月新しく営業用普通貨物自動車を自ら購入した。

4. 原告は、時哉方へ移り住んで間もない昭和三四年一〇月一二日、上田商工信用組合上田本店に自己名義の営業用当座貯金(口座番号二一五号-以下「本件当座貯金」という。)を開設した。しかして右当座貯金は、次の諸事情からみて、名実ともに原告のものであることは明らかである。

(一)  原告が独立に営業を始めたと主張する昭和三八年六月一日の後である同年七月一八日に設定され、現在でも利用されている原告の長野県信用組合上田支店の当座貯金(口座番号一一七号)から、昭和三八年七月一九日に五五、〇〇〇円、同月二六日に一二五、五三〇円がそれぞれ本件当座貯金に入金されている。

(二)  原告の上田商工信用組合上田本店の普通貯金(口座番号一、九四九号)から、昭和三四年一二月二五日に四、〇〇〇円、昭和三五年四月二六日に六、〇〇〇円、同年一〇月三一日に一六、九〇〇円、昭和三六年四月一日に三八、〇〇〇円、昭和三七年一二月二九日に三〇、〇〇〇円がそれぞれ本件当座貯金に入金されている。

(三)  原告の長女である訴外岡田泉名義の上田商工信用組合上田本店の普通貯金(口座番号四、三〇〇号)から、昭和三七年六月三〇日に五〇、〇〇〇円、昭和三八年二月二一日に三〇、〇〇〇円が、それぞれ本件当座貯金に入金されている。

(四)  原告が上田商工信用組合から借り入れた昭和三五年六月一四日の五〇、〇〇〇円が同日に、昭和三六年一二月二七日の一〇〇、〇〇〇円が同日に、昭和三七年六月一二日の一〇〇、〇〇〇円が同日に、同年一二月一二日の一〇〇、〇〇〇円が同月一四日に、それぞれ本件当座貯金に入金されている。

(五)  原告の長男である訴外岡田泰彦名義の上田商工信用組合上田本店の定期貯金の元本とその利息金額二一、一八一円が、昭和三七年一一月一六日に本件当座貯金に入金されている。

(六)  原告の家族の個人資産取得のため、本件当座貯金から、昭和三七年七月一一日に一二五、〇〇〇円、昭和三八年二月一三日に五五、〇〇〇円、同年五月一〇日に五〇、〇〇〇円、同月二四日に一一〇、〇〇〇円が、それぞれ払い出されている。

5. 原告は、昭和三五年以降自ら事業税及び住民税の申告をしている。

6. 原告は、昭和三五年五月、時哉が受けていた魚介類販売業の許可期限が切れると同時に自から魚介類販売業の許可申請をし、その許可を受けた。

二、仕入金額の確定について

原告は、昭和三五年ないし昭和三八年分の所得金額を明らかにする帳簿書類を何も用意していなかつたので、被告は、原告の各仕入先を反面調査し、各々の売上帳簿により次の表のとおり原告の仕入金額を確定した。

ただし、仕入先のうち株式会社吉川青果店(次の表の順号3)からの昭和三五年分と昭和三六年文の仕入金額については、被告の右調査時(昭和三九年実施)にはすでに同社の昭和三六年四月以前の売上帳簿が焼却されていたため、次の方法で推計した。

1. 昭和三六年分について

株式会社吉川青果店の売上帳による昭和三七年一月から四月までの仕入金額を基礎とし、各月の一、〇〇〇円未満の端数を切り捨てた額の合計一二三、〇〇〇円を、昭和三六年一月から四月までの仕入金額と推計し、これに仕入先の売上帳による同年五月から一二月までの仕入金額三〇〇、〇六〇円を加算した額を同年度の仕入金額と推計した。

2. 昭和三五年分について

原告の主なる仕入先のうち、昭和三五年、同三六年を通じて仕入れの方法(現金あるいは買掛け)に異動がなく、比較的定数的に仕入れていたと認められる東信海産株式会社(次の表の順号2)からの昭和三六年中の仕入金額に対する昭和三五年中の仕入金額の割合七九パーセントを求め、この割合を右1.に算出した昭和三六年中の株式会社吉川青果店からの仕入金額に乗じて得た金額を同社からの昭和三五年中の仕入金額と推計した。

〈省略〉

三、差益率、所得率の算出について

原告の事業所得金額を推計するために、被告は差益率及び所得率を次のように求めた。

1. 基礎係数

上田税務署の管轄地域内において、原告と同種の事業を営み、青色の申告を行なつている個人事業者の差益率及び所得率は次の表のとおりであり、これを以下の計算の基礎係数とした。

〈省略〉

(注) ※印は自動車を所有していた年度分を示す。

2. 平均値を求める計算

右の1.のすべての係数が、真の平均値をうるための条件に適合しているとは限らないので、統計学上一般に認められている方式により、まず、基礎係数の算術平均を求め、各基礎係数と算術平均との較差すなわち偏差を算出し、次に、この偏差を自乗したものを算術平均して得た値を平方に開いて、差益率と所得率との標準偏差を求め、これに統計学上一般に広く用いられている係数一、七八を乗じて限界値を求め、真の平均値を得るのに有効な係数の上限及び下限を求めて、その範囲内にある係数のみにもとづいて平均値を計算した。

その具体的計算方法は次のとおりである。

(1)  差益率についての標準偏差の算出

(イ) 昭和三五年分

△印は負数を示す。

〈省略〉

標準偏差 〈省略〉

(ロ) 昭和三六年分

△印は負数を示す。

〈省略〉

標準偏差 〈省略〉

(ハ) 昭和三七年分

△印は負数を示す。

〈省略〉

標準偏差 〈省略〉

(ニ) 昭和三八年分

△印は負数を示す。

〈省略〉

標準偏差 〈省略〉

(2)  所得率についての標準偏差の算出

(イ) 昭和三五年分

△印は負数を示す。

〈省略〉

標準偏差 〈省略〉

(ロ) 昭和三六年分

△印は負数を示す。

〈省略〉

標準偏差 〈省略〉

(ハ) 昭和三七年分

△印は負数を示す。

〈省略〉

標準偏差 〈省略〉

(ニ) 昭和三八年分

△印は負数を示す。

〈省略〉

標準偏差 〈省略〉

(3)  差益率及び所得率についての上限及び下限の算出

〈省略〉

(4)  差益率及び所得率についての平均値の算出

〈省略〉

四、事業所得金額の計算

前記二で確定した原告の仕入金額に前記三で算出した差益率(平均値)を乗じて、各年分の原告の売上金額を推計し、この売上金額に前記三で算出した所得率(平均値)を乗じて所得金を得、これから特別経費を控除して原告の事業所金額を推計した。

計算は次の表のとおりである。

〈省略〉

五、課税処分の適法性について

被告は前記一ないし四により請求原因一記載のとおり処分をしたものであり、原処分額はいずれも事業所得金額を下まわるものであって、被告の右処分は適法である。

第五、被告の主張に対する原告の答弁及び反論

一、営業主体について

1. 時哉が寺田本店を経営していたこと、同人が被告主張の日に死亡したことは認めるが、原告は、いずれの時期においても寺田本店の営業主としてこれを経営した事実はない。

2. 主張一1.のうち、原告が被告主張の期間時哉方で同人と同居していたことは認めるが、その余の事実は否認する。

原告は右期間中魚商見習いと手伝いを兼ねて家族三人と寺田本店に住み込んで、その従業員として働いていたにすぎず、仕入れから売上げまで一切の実権は時哉が握っていたのである。時哉は原告を同居させる以前にも何人かの人を養子にするという甘言をもって雇い入れたが、生来のりんしょくな性格のため、後継者の問題でいざこざを起こしていずれも転出させ、原告に対してよくやってくれれば養子にしょうという程度の誘いの言葉はあったが、養子にする旨の内約があったわけではなく、また原告が事実上の養子として同人と同居したわけでもない。原告は、時哉の営業を助けることにより、同人から給料などの報酬を受ける代りに自己の家族の生活を保障されていたものであって、一切の収益は時哉が支配管理していたのである。

なお、原告は、昭和三八年六月一日に時哉と別居して上田市大字中之条一、二六八番地の八に居宅兼店舗をかまえて、それ以来はじめて鮮魚魚介類販売業を自から経営するに至ったものである。

3. 同2.(口頭弁論期日における陳述)の事実は認める。

しかし、これは当該事件の訴訟上の防禦のため、事実に反してした主張である。そして、右訴訟は時哉が債務を弁済することによって解決した。

4. 同3.(自動車購入)及び同4.(当座貯金関係)の事実中、被告主張の当座貯金が開設され、これに被告主張の各入金があったことは認める。

しかし、これらはいずれも時哉が、多額の負債をかかえていたので、債権者からの追及を免かれ、銀行からの融資を得るためにとられた措置である。そして右負債は、昭和三八年八月ころまでに時哉が自から弁済していた。

5. 同5.(事業税等の申告)及び同6.(魚介類販売許可)の事実は認める。

しかし、これらはいずれも時哉が、自ら事業を行なっていることになっては養老年金の給付が得られないため、右給付の資格を取得するためにとられた措置であって、営業の実態とは関係がない。

6. むしろ魚介類販売業者にとって、市場に出入りし、その他自己の名で商取引を行う上で欠くことのできない上田魚商組合の持分権こそ営業の実質的主体者として最も重要なものであるところ、右持分権は昭和三八年五月までは時哉に帰属し、原告は、同年六月に至り時哉から買い受けたものであって、これ以降はじめて独立の商人となりえたものである。

二、課税の計算根拠(主張二ないし五)について

1. かりに寺田本店の営業主が原告であったとしても、その営業の実態は、行商を主体とするものであり、また取り扱う商品も加工品が半分以上を占め、被告が基礎とするAないしGの事業者とは到底対比しうべくもない。したがって、これを前提として算出された課税金額には違法がある。

2. また、かりに寺田本店の営業主が原告であるとしても、右営業の実態は前記1.のとおり行商であるから、自動車代、ガソリン代などの経費を当然に要するものであつて、これらの経費を計上しないで算出された課税金額には違法がある。

第六、証拠

一、原告

1. 甲第一ないし第一四号証、第一五号証の一ないし二〇、第一六ないし第一九号証、第二〇号証の一ないし三、第二一号証、第二二号証の一ないし四、第二三号証。

2. 証人寺田忠治、同南留吉、同田原健治、同吉川隆己、同小林安友、同太田正己の各証言及び原告本人尋問(第一、二回)の結果。

3. 乙第一五号証の三、第二五ないし第三一号証、第三二号証の一、二、第三三号証、第三四、第三五号証の各一、二、第三六号証、第三七ないし第四〇号証の各一、二、第四一号証の一ないし四、第四二号証の一、二、第四三ないし第四八号証、第四九号証の一ないし三、第五〇号証の一ないし九、第八〇号証、第八一号証の一ないし三、第八二号証、第八三号証の一、二の各成立は不知、第五一ないし第七八号証の各一、二の成立はいずれも否認する。その余の乙号各証の成立は認める(ただし、第七号証、第九号証は作成名義人が作成したものではなく、第七九号証の一ないし三は原本の存在及び成立とも認める)。

二、被告

1. 乙第一号証の一ないし六七、第二号証の一ないし五一、第三号証の一ないし五八、第四号証の一ないし二一、第五号証の一、二、第六、七号証、第八号証の一、二、第九、一〇号証、第一一、一二号証の各一、二、第一三号証の一ないし三、第一四号証、第一五、一六号証の各一ないし三、第一七号証の一、二、第一八号証、第一九号証の一ないし四、第二〇号証、第二一号証の一ないし四、第二二ないし第二四号証の各一ないし三、第二五ないし第三一号証、第三二号証の一、二、第三三号証、第三四、三五号証の各一、二、第三六号証、第三七ないし第四〇号証の各一、二、第四一号証の一ないし四、第四二号証の一、二、第四三ないし第四八号証、第四九号証の一ないし三、第五〇号証の一ないし九、第五一ないし第七八号証の各一、二(ただし、第七一号証の二については、本件記録の書証目録には記載がないが、これは第五一ないし第七八号証がすべて所得税青色申告決算書であって、その表各「一」とし、その裏面を各「二」として統一されていること、第七一号証が書証目録の頁が移るところに記載されていること、同号証の記載方法として単に「七一」とせずに「七一の一」と記載されていること、「乙第七一号証の一、二」と記した書証写しが記録に編てつされていること、昭和四七年一月二七日施行の第九回口頭弁論において証人篠義一に対し同号証の二も他に第五一ないし第七八号証同様これを示して尋問していることを総合してみれば、第七一号証も他の第五一ないし第七八号証と同様に第二回弁論において申告書の表を「一」として「二」として提出され、第七回弁論において成立は「否」と認否がなされたものであると認めることができ、単に書証目録に記載を脱落したものと認められる。)第七九号証の一ないし三、第八〇号証、第八一号証の一ないし三、第八二号証、第八三証の一、二、第八四号証の一ないし三。

2. 証人中沢寅雄、同松下高吉、同寺田俊雄、同南留吉、同田原健治、同古川正人、同吉川隆己、同小林安友、同小林繁治郎、同山田信保、同宮崎功、同遠藤弥七、同松村武八郎、同篠義一、同斎藤武夫(第一、二回)の各証言。

3. 甲第一ないし第四号証、第一七、一八号証、第二〇号証の一ないし三、第二二号証の一ないし四、第二三号証の各成立は認め、その余の甲号証の成立は不知。

理由

一、請求原因一(本件課税処分の経緯)については当事者間に争いがない。

二、そこで原告が時哉の鮮魚商の営業一切を引継いでこれが経営主体となったものであるかについて判断する。

時哉が、大正一〇年ころから上田市三好町の住居地で鮮魚商「寺田本店」あるいは「寺田魚店」を営んでいたこと、原告が株式会社丸中上田中央魚市場対時哉間の上田簡易裁判所昭和三五年(ハ)第四号売掛代金請求事件の昭和三五年二月四日の口頭弁論期日に時哉の代理人として出頭し、時哉は原告に昭和三四年九月一日から営業一切の権利を譲渡した旨答弁したこと、原告が時哉方へ移り住んで間もない昭和三四年一〇月一二日に、被告主張のような当座貯金が開設されて、これに被告主張のような入金があったこと、原告は昭和三五年以降自ら事業税及び住民税の申告をしていること、原告は昭和三五年五月時哉が受けていた魚介類販売業の許可期限が切れると同時に自ら魚介類販売業の許可申請をしていることはいずれも当事者間に争いがない。

右争いのない事実に、証人寺田俊雄、同古川正人、同小林繁治郎、同小林安友、同山田信保、同田原健治、同南留吉、同斉藤武夫(第一、第二回)、同太田正己の各証言及びこれらにより各成立を認められる乙第二五ないし第三〇号証、同第三二号証の一、二、同第三八号証の一、二、同第四一号証の三を総合すれば、原告は昭和三四年九月ころ時哉の養子になる予定で同居したこと、同居してからは原告が魚市場などにも出入りして自ら魚介類を仕入れていたこと、当時時哉は老齢であって原告の同居以前も時哉の孫が時哉名義で営業一切を取り仕切っていた時期があったこと、時哉は当時相当額の負債を有しており銀行取引においては時哉名義を用いることはできず、原告名義の取引口座を新たに開設したが、魚市場などの組合員名義は、名義変更のために費用がかかることもあって時哉名義のままとし、原告が時哉の養子として市場の出入りを認められていたこと、魚介類の取引についても原告名義の口座を設けたところもあり、時哉の旧債務は一時棚上げしてもらったところもあること、時哉の棚上げされた旧債務についても原告が支払っていたものと認められること、原告は時哉との間では給料の定めなどはなかったが、同時に稼働していた従業員は給料の定めがあり給料の支給を受けていたこと、原告が魚介類販売の雇人の採用を決めたことがあること、時哉が上田市を離れる際原告が時哉に二万円を渡していること、この趣旨は営業の譲渡金ではなく、単なる見舞金のようなものであることがそれぞれ認められ、右認定事実によれば、被告主張の如くおそくとも昭和三四年中には、営業名義は時哉であったとしても、その実態は原告が経営主として一切を取り仕切るようになっていたものであって、原告の営業となったものと認むべきである。

この認定に反する証人寺田忠治、同古川信次、同小林安友、同太田正己の各証言及び原告本人の尋問の結果は信用しない。

三、次に、被告の採用した推計課税の適否について判断する。

証人斉藤武夫(第一回)の証言によれば、原告は昭和三五年ないし昭和三八年度の収支を明らかにする帳簿書類を備え付けていなかったことが認められ、原告の右各年度分の所得額を算出するには推計の方法によらざるを得ないことが認められる。

その方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と認められる乙第四九号証の一ないし三、同第五〇号証の一ないし九、その添付書類である乙第五一ないし第七八号証の各一、二によれば、原告の住居地の所管税務署である上田税務署管内において鮮魚小売商を営む青色申告者であってその売上金額が原告に近似すると思われる年間売上金額が三〇〇万円以上一、〇〇〇万円未満の者全部(すなわち、主張三におけるAないしG)について、昭和三五年から同三八年について各年度ごとに差益率、所得率を算出してこれの平均値を求め、この値を反面調査による原告の仕入金額に乗じて原告の所得金額を推計し、これから特別経費を控除して事業所得を推計する方法によっていることが認められるのであるが、この方法は一応の合理性を有するものと認むべきであり、他にこれを排斥すべき特段の理由がない以上、これによることは適法であるというべきである。

なお原告は、その営業実態が行商を主体として取扱う商品も加工品が半分以上を占めているのであるから、前記AないしGの事業者を基礎として差益率、所得率を算出することはできず、また、経費として、自動車代、ガソリン代などを要するから、これを特別経費として計上しない算出方法は違法である旨主張するが、前掲各証拠によれば、差益率、所得率算出の基礎となった右AないしGの事業者の中にも行商を主体とする者もあり、その取扱商品も区々であり、また、自動車保有者も含まれることが認められるのであるから、原告の営業実態が行商を主とするものであるという点は前記算出方法の合理性を左右するものと認められない。

四、そこで、原告の仕入金額について検討する。

証人小林繁治郎の証言及びこれにより成立が認められる乙第三二号証の一、同第三三号証、同第三七号証の一、同第四一号証の一、二、同第四二号証の二、同第四八号証、証人山田信保の証言及びこれにより成立が認められる乙第三四号証の一、同三八号証の一、二、同第四三ないし第四六号証、証人宮崎功の証言及びこれにより成立が認められる乙第三五証の一、同第三六号証、同第三九号証の一、証人遠藤彌七の証言及びこれにより成立が認められる乙第四〇号証の一、証人松村武八郎の証言及びこれにより成立が認められる乙第四七号証、証人斉藤武夫(第二回)の証言及びこれにより成立が認められる乙第八〇号証、同第八一号証の一、二、同第八二号証によれば、被告主張二の別表の順号1、2、4ないし7、9ないし18の各年度の仕入金額が同表記載のとおりであること、順号8の昭和三五年度ないし同三八年度の仕入金額がそれぞれ二万三、〇〇〇円、一万九、〇〇〇円、三万二、〇〇〇円であること、順号3の昭和三五年度及び同三六年度の仕入金額が推計による被告主張の金額であることを各々認めることができる。

右仕入金額を基礎として前記三の方法により原告の所得金額を算出した結果は次のとおりである。

〈省略〉

五、ところで、被告が昭和三九年一〇月三一日付て各なした原告の昭和三五年度ないし同三七年度の所得税額決定処分及び昭和三八年度の所得税額更正処分(ただし、いずれも昭和四一年一一月五日付裁決で減額されたもの。)は右当裁判所認定の所得金額を下廻るから被告の各処分は正当である。

六、また、原告が昭和三五年度ないし同三七年度分について無申告であること、昭和三八年度分について申告額が過少であることは争いがなく、加算税を除外すべき理由がないので、被告のなした加算税の各賦課処分もまた正当である。

七、以上説示のとおり、被告のした本件各処分は適法であり、したがって、原告の本訴請求はすべて理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 野本三千雄 裁判官 平湯真人 裁判官 三浦力)

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